achakonokimochiのブログ

長年疎遠だった母が末期がんになりました

10年ぶりの母からの電話

2010年令和になったこの年の8月。

母から何年かぶりに電話がかかってきた。

1度目の着信は出なかった。

母からの電話は決まって『お金貸して』だったから。他の理由もいくつか考えたけど、どれも、とても吉報は思いつかなかった。かけ直す事も考えたけど。。。とても勇気がなかった。

そして、帰宅して昼食を作っている最中で手が空いてなかった。

でも5分も経たずに2度目の着信が鳴った。

色々考えている間に切れてしまった。。。

もぉ~しょうがない。。。かけ直すか。。。

意を決して、電話をする。

昼食の準備をしながら、キッチンに立ちながら、久しぶりに母と話す。

細かくは忘れてしまったけど、早々に、『末期がんで、もぉ先が長くないの。病院からどうしても親族を、同伴するように言われてて、付き添って欲しい。治療はしない。』ようするにこんな内容だった。

話を聞いた私の最初のきもち。

『あ~やっぱりな』吉報ではなかった『やっぱりな』と『やっぱりこの人癌で死ぬんだな』のやっぱり。毎日キツイタバコをもぉずーーーっと、20才の頃から、ヘビーに吸ってたし、私が一緒に住んでいる頃から変な咳よくしてたし。毎日アルコール飲んでたし。母の母も癌だし、母のお兄さんも白血病だし。どれをとってもやっぱりな。って思った。ただ、私にとってはとてつもなくバッドタイミングだった。。。

9月~1ヶ月半、通常のパートと並行して派遣をする事が決まっていて、休みの日を週1あるかないかの予定を組んでいた。

火曜日か金曜日で行ける日ある??って言われてカレンダーを見ると、もぉ次の休みは2週間後だった。なので、2週間後の金曜日なら、行けるよと伝えると、『悪いわね。忙しいのに。。。』と。何分くらい話したかなぁー?!15分くらい話して、じゃ、病院に予約してみるねって話しを切り上げようとする頃、あれ??ところで何の癌だ??ってなり、ところで、どこの癌?と聞くと、肺がんだとの事。あっ、やっぱりなって。というか、ずっと肺がんだろーと思って話してたから、確認しそびれてた。母は話している最中も話が出来ない程激しく咳き込んでて、苦しそうで、話しをするのもためらってしまう程だった。

電話を切って、お昼ご飯食べながら


グルグル色々考える。。。。

母親が末期がんでも私、冷静だわ。冷たい娘かな。

妹にも話さなきゃな。

父親には絶対言うのはやめよう。

余命はどれくらいかな。

うちで看取る可能性もあるかな。


考えるうちに、病院までの2週間後がながーーく感じてきた。

あっ。そっか。自分の母親が癌なんだよね。最低時給のパートやってる場合じゃないのかも。来週のパートは休むか。って思い直してすぐに母に電話して、来週都合つけるから、予約してみてと言ってみた。母は、あ~~良かったと言う感じで、明らかに声が明るくなった。やっぱり2週間は長いよね。。。長いって思ってたんだ。2週間待てないくらいの病状なのかな。。。と、またグルグル。。。


それからゆっくりお昼ご飯食べたっけな。